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わたしたちの子どもが小さかったときに、日々考えたことを綴ったものです。
なにか、のときにお役に立てればなによりです。
子供が生まれた日
2003/7/5
4年前に長女が生まれたとき、へその緒を「ちょっきん」させてもらいました。 ほとんどの人と同じように、「へその緒」って乾燥しきったものしか見たこと なかったのですが、はさみで切ろうとすると細身のゴムホースのような感触で 結構力が要りました。 そうして彼女は母親に依存する生活から文字通り「切り離された」わけです。
とても感慨深い貴重な経験でした。 そして、「痛感」しました。
「(おそらく)彼女はこれから80年以上も地球の上で暮らしていかなくては ならない」という現実を。
(おそらく)は二つの言葉にかかっています。ひとつは「80年以上」もうひと つは「地球の上」です。
まだ20世紀だった当時(ちょっと大げさですね、1998年のことですから)、 21世紀はどんな姿になるのか想像すると、ひょっとしたら地球以外の場所で生 活できる(あるいはせざるを得ない)かもしれないということ。 日本人女性の平均寿命は84歳ではあるが、一方で60歳までの死亡率も7%ある ということ。これらの理由で「おそらく」なんです。 それはともかく、健康で生きていけたとしても(健康であることはとても幸せな ことに違いないのですが)さまざまな困難が生じるはずです。 一番近いところでは「保育園ではじまる人間関係」それから「教育」それと並行 して「恋愛」とか「親子関係」とか、、、、そして、ずーっと先にある「老後」。 そもそも西暦2080年に「日本って国家」が今と同じような形態で存在するのかど うか? それら一つ一つを娘の生まれたときに想像してしまいました。 そしたら、娘のことがさらにとても愛しくなって涙が出てきたのでした。
4歳になる今の姿を見てもその気持ちは変わりません。 どうしてそんなに過敏になるのでしょう。
それには個人的な理由があったりします。 その理由はまたいつか掲載したいと思います。 (2003.7.5記)
高校1 年生のみなさんにお話したこと
2004/11/18
本日、愛知県内の県立普通高校で「職業講話」というのをさせていただきました。
高校1年生が「大学進学後」にどのような進路を選ぶのかの情報としていろいろな職業の人の話を聞く授業だそうです。 この高校では2年生から文系と理系を選択するそうで、さしあたり、そのために大切な授業なのかもしれません。
それよりも、私自身の高校1年生の時(26年前です!)って、とっても「不登校度合い」が強い生徒でしたので、自分が数年後にどのような職業についているか?なんて考えることが怖かったような気がします。 それに、自分が高校生の時って「大学進学だけ」が目標になってしまっていて、その頃「大学の先」の話を真剣に気づけたら人生変わっていたかも、、、とも感じました。
(もっとも、私は今までの自分史に満足していますが) 自分の、そんな高校1年生のときの気持ちを正直に話して、でも、「大人ってどうして働くのだろう?」という問題提起をしてみました。
この文章を読んでくださっている「社会人」の皆さんはこどもから「大人ってどうして働くの?」って訊かれたらなんて答えますか? 私が生徒さんに伝えた「大人がどうして働くの?」の答えは、、、「ヒ・ミ・ツ」です。
御興味のある方は連絡ください。 ともあれ、自分は「仕事をしていて『楽しい』」ので「楽しくなる仕事を見つけられたら幸せだよ」と言ってきました。
そして、楽しい仕事を見つけるには、、、 「高校1年生って可能性が無限にあるなあ」と羨ましくも感じた半日でした。
フリーマーケット
2006/6/7
我が家が名古屋大学の近くに越してきてもうすぐ5年が経過します。 その名古屋大学では毎年6月に学校祭があります。

毎年のようにこの学校祭を楽しんできました。 模擬店で飲み食いするのは基本ですが、科学の実験をしたり、人形劇を観たり、経済学の話を聞いたり、ストリートパフォーマンスを楽しんだり、骨髄バンクのドナー登録をしたり、、、
今までいろいろな経験ができました。 そして、今回はフリーマーケットに「出店」しました。
6月4日(土)5日(日)の2日間、朝9時過ぎから夕方4時まで、幅2.7メートル奥行き2メートルのスペースで、「販売」を楽しみました。 出店の「動機」は「子供たちに経験させること」でした。
普段の生活では、本物のお金を払ってジュースを買うことはあっても、代金を「受け取る」ことはなかなかできませんからね。 かく言う私も、全く初めての経験でしたが、この歳(43歳)になって多くの経験ができました。
初日にお隣で洋服や靴を売っていたカップルの方は手際よく売りさばいておられるようだったのですが、彼らも初めての経験だったそうです。 面白かったです。
写真は2日目のブースの両隣の皆さんです。風船アートを作っていたのは名古屋大学の工学部の学生さんだそうです。 この可愛い女の子たちのお母さんより私は年上なんだよね、、、 品物を買ってくれた人、2日間お隣にいた人、みなさんありがとうございました。

PTA総会での挨拶
2007/4/27
<本日の原稿をそのまま掲載します>
ただいまご承認いただきました福原町の佐々木元司です。 どうぞよろしくお願いいたします。
このように皆さんとお話できる機会はこの総会のときだけのようですので、貴重な時間ですが、私の自己紹介に数分間お付き合いください。 PTA会長に、とオファーを受けたとき「なぜ私が?」と素直に疑問に思いました。
皆さんはPTA会長にどのような印象をお持ちでしょうか? 私の子供の頃のPTA会長の記憶はこんな感じです。
PTA会長とは同級生の自動車販売会社の社長さんがその子のお兄さんのときからずーっとやっていて、運動会で挨拶する人。 そもそも皆さんのお子さんはPTAにどのような印象をお持ちでしょうか?
私の子供の頃の記憶はこんな感じです。 「PTAとは、毎年春先になるとお母さんが逃げ回っているもの。」
それから、小学生の自分が辞書を引いてみると 「PTAとはぺアレントアンドティーチャーズアソシエーションの略」とありました。
あれ?自分たち子供には関係ないの? そんな風に疑問に思っていました。
みなさん、お子さんから「今日はPTAで何してきたの?」って聞かれたらなんてお答えになりますか? 本当は親と先生が子供たちのために活動する組織。だったんですよね。
つい最近その定義を知りました。 PTA会長は誰がなってもいいのだと思います。
わたしもサラリーマンですが、平日の昼間の時間を比較的自由に使うことが許される環境で仕事をしていますので、その時間を有意義に使わせていただこうと思っています。 それで、皆さんと一緒にこのPTAで目指したいことは、ただひとつです。 せっかく縁あってこの街で暮らしているのですから、この街のみなさんがもれなく幸せになるお手伝いをしたい。
ただそれだけです。 この街、つまり伊勝学区の皆さんというのは伊勝小学校にお子さんを通わせている世帯のことだけではありません。
この素敵なコミュニティーのお年よりや学生の方たちまで、その全てともっともっと仲良しになれるといいな。と思っています。 そう思いませんか?
堅苦しい作業は何にも要りません。 そのためにみなさんにご協力いただきたいことはやっぱりただひとつだけです。
お互いに会話をしませんか。 私は知らない人に声を掛けるのはとても苦手です。
多分ここにいらっしゃるみなさんのほとんどが同じではないでしょうか? 子供たちは、新学期に新しいクラスの仲間同士勇気を持って声を掛け合っていますよね。
私たちもそうしませんか? 私も皆さんのほとんどとお話をさせていただいたことがありません。
みなさんお一人お一人と会話をさせていただいて、ちょっとずつ仲良くなって、そうして、みんなでこの街で楽しく暮らしたいと思いませんか? 「小鳥の声が明るくてうたいたくなる坂の上、、、」 伊勝小学校の校歌、素敵だと思いませんか?
私はこの校歌が大好きです。 娘たちと一緒に大きな声で歌ったりします。
こんな素敵な小学校に娘たちを通わせることができて、私はとても幸せです。 小学校の6年間は子供たちには長いけど、大人にとっては、あっという間ですね。
自分が小学生の頃の記憶を抱きつつ、親として、この街に暮らしている喜びをご一緒に共有したいと思います。 <みんなで校歌を歌う>
今日お子さんに「PTAで何してきたの?」って聞かれたら 「あなたたちが楽しく過ごせるように話し合いをしてきたんだよ」って教えてあげてください。
そうだ、「校歌歌ってきたよ」って教えてあげてください。 これからの一年間、どうぞよろしくお願いいたします。
P T A のこと
2007/5/12
我が家の娘たち(小1、小3)の通っている小学校は児童 数が少なく、どちらの学年も2クラスです。
娘たちはとても穏やかに過ごせているようで、感謝です。
その小学校で、今年度のPTA会長をさせて頂いてます。 ほとんどの作業はお母さん達がやってくださるので、なんだか「お御輿」に乗っかっているような気分です。
でも、小学生のいるご家庭のためだけの活動でなく『地域のお年寄り』や『若い方』との交流が盛んになるような活動ができればいいなー(^_^) などなど、いろいろ考えてます。
名大祭フリーマーケット
2007/5/31
昨年楽しかった名古屋大学の学校祭に今年もフリーマーケット出店します。
一応6月9日(土)10日(日)の終日(10時頃から4時頃)を計画しています。
みなさんのぞきに来てください。
↓ <開催しました>
大雨の週末で、日曜日は中止でしたが、土曜の午前は盛況でした。
お越しいただけたみなさん、ありがとうございます。
準備中その1
準備中その2
こどもたちも準備中
いらっしゃいませー
ラクガクくらぶのこと
2007/7/6
私は日頃、皆さんのご家庭の過去と将来のお金の動きを皆さんとご一緒に考えさせていただく「ライフプランニング」をさせていただいています。
FP(ファイナンシャルプランナー)という資格を取った頃から、せっかく金銭の知識があるので、世の中に何か還元できないかなあと考えていました。そして、3年前に「ラクガクくらぶ」という集まりを社外の4人で作って、こどもたち(とその親御さん)向けに「おこづかいの使いかた」をゲーム形式で楽しんでもらう企画を(非営利で)始め、現在も継続しています。 (この活動はソニー生命とは全く関係ありません)
「ラクガクくらぶ」では、お金の大切さ、生きたお金の使い方を伝え、経験させていくことで、これからの時代、子ども達が将来お金でつまづくことがないようにすることをめざしています。 ゲームの中でも子ども1人1人の個性が現れます。ゲームでのお子さんの姿をお父さんお母さんにも見ていただき、ぜひご家庭でも積極的におこづかいを与え、経験のチャンスを作ってもらえるようお伝えしています。
おこづかいゲームがご家庭での金銭教育のキッカケになり、それが地域、学校に広がっていくことを期待しながら活動を続けています。
 子どもの頃からの金銭教育を通して、お金の知識をつけると共に、そのお金を使う子どもの心の教育をしていければと思っています。
日本経済新聞に載りました
2007/7/7
おこづかいゲームの活動に注目いただいて、2007.7.7付の日本経済新聞(中部版)のコラムで掲載いただきました。 新聞社さんから、この場での掲載は認めていただけませんが、 記事そのもののコピーがご覧になりたい方はお渡しできます。(日本経済新聞さんの著作権承諾済みです)
連絡ください。 この活動はソニー生命とは無関係ですが、ソニー生命でも注目してもらっていて、8月10日(金)のセミナーには本社の広報部の方が取材にお越しになります。
私の両親
2007/9/8
私の両親は昭和10年と11年生まれ、70代です。
岐阜県の恵那市という街に住んでいます。 2歳違いの両親はともに同じ高校(私の母校でもあります)を卒業後、同じ町役場に就職し、結婚しました。
父は野球が大好きで、私が生まれた当時のジャイアンツのエース藤田元司さんの名前をとって私の名前を「元司」と付けてくれました。昭和37年のことです。 私はその静かな街で18年間を過ごしました。
両親はその街で70年以上暮らし続けています。 父は40年以上公務員を続けました。
その後、多少ゆとりの時間ができたのか、学生時代から好きだった油絵を描き始めました。写真のうしろにある絵も父の作品(長野県開田高原から見た木曽御岳)です。 その父に、今春、膀胱がんが見つかりました。
少し早すぎる病との闘いが始まりました。 父はこの病気と共存する決断をし、近くに住む私の弟や妹にも支えられて生活しています。
とても前向きに、これからの人生を楽しもうとしているように見受けられます。 とてもありがたいことです。
私は3人兄弟の一番上(つまり長男)で、生まれた街が大好きですが、18歳で高校を卒業してからもう四半世紀以上もその街に住んだことがありません。 私の自宅から実家までは中央道を使えば1時間で辿り着けます。
でも、頻繁に孫の顔を見せてあげることができていません。 お客様の中にも病気と闘い続けていらっしゃる方が、たくさんいらっしゃいます。
その方々に私ができることは何なのでしょうか? ご加入いただいた生命保険のなかで「考えられる限り」の給付金を支払うことは当然のこととして、私にはそれ以外に何ができるのでしょうか?
私の大切なお客様が、いつまでも幸せで暮らしていただけるように「私には何ができるか?」自問を繰り返す毎日です。
子育てパパ力検定
2008/5/16
3月16日「子育てパパ力(ぢから)検定」なるものを受験してみました。
父親を楽しもうという考えの団体(Fathering Japan)の主催する検定です。 第1回ということで、受験会場にはテレビ局が3社も来ていました。
(インタビューも受けたけど、どこかで放映されたかなあ?) ローカルニュースでは受験者は22歳から45歳で~と言ってましたが、「、、、ってことは私は最年長だったってこと!!」
ちょっと複雑な気分です。 それはともかく、考えてみると、子どもと一緒に過ごせる時間はごく僅かしかありません。
長女は9歳なので、「あー、もう半分終わっちゃった、、、」という感じです。 ついこの前へその緒を切ったばかりなのに、、、
PTA活動をしていて感じることは、「仕事に拘束されて子どもとの時間が取れないお父さんの多い現実」です。 私の場合は、時間をフレキシブルに使わせていただけるので、娘たちとの時間はかなりたくさん持てていると思ってます。
それなのに、娘たちからは「ぜんぜん足りないよー」との声が上がっています。 ともあれ、試験の内容にはライフプランナーとして、子育て中の皆さんのために知っておいたほうがいいことがかなり混じっていました。
試験結果は4月下旬にわかるそうです。 50点満点の試験結果次第で
【41点~50点】スーパーパパ 【26点~40点】ナイスパパ
【11点~25点】チャレンジパパ 【0点~10点】ドキドキパパ
と分けられるそうですが、結果はこの場で皆さんにご報告しますね。 点数低いとライフプランナーとしてもまずいかな?
卒業式の祝辞
2008/5/19
私の娘たちの卒業はまだまだですが、PTA会長として、小学校の卒業式で挨拶をさせていただきました。
卒業式は、とても感動的なプログラムでした。 その場に参加できて、PTA会長の役得だと思いました。
小学校の卒業式に出るのは、自分の小学校での卒業式以来なので、33年ぶりのことでした。 私の卒業したときは、180人以上の子どもたちがいましたので、卒業証書をもらうだけでした。
私の地域の学校の今年の卒業生は「42名」。 ですから、ゆっくりと時間を掛けて、ひとりひとりが、これからの抱負を口に出して、それから卒業証書を校長先生から受け取ります。
その、ひとりひとりの言葉に、大変感動し、涙を止められませんでした。 その後で、PTA会長の祝辞を話すプログラムがありました。
懸命に涙を拭いて話をさせていただきました。 以下がその内容です。
「みなさん、卒業おめでとうございます。 そして、ここまで12年間の育てになられたお父さんお母さん、本当におめでとうございます。
また、なにより、この小学校の6年間、私たちの子どもたちを育んでくださった先生方、心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。 みなさん、私は今、とても感動しています。
卒業証書をもらう前の42人の皆さんの一人一人の言葉が、42粒の宝石となって私の心に入り込みました。本当に嬉しいです。 最初にお礼を言わせてください。
この小学校の子どもで過ごしてくれた6年間、ありがとうございます。 そして、これから、中学校に行って、その先皆さんが素敵な大人になることが私の頭の中で、いっぱい、いっぱい広がりました。
きっと、日本中や世界中や、ひょっとしたら宇宙に行って活躍する子どもたちがこの中から出てくるということを本当に楽しみにしています。 みなさんとの思い出はたくさんあります。
いろんな行事をしました。 運動会や、餅つき大会や、ふれあい訪問にも一緒に行かせてもらいました。
でも、そういう行事よりも、朝、登校のときや部活動のときや、帰りのときに、こんにちは、さようならって、ちょっとはにかみながらあいさつしてくれていたその声が、もう聞こえなくなるのだなーって思うと、とても寂しいです。 みんな、ここで過ごしたこの小学校での生活をずーっと覚えていてください。
私たち大人は、ずっとこの街に住み続けています。 そして、この街に住んでいる近所のおじさんやおばさんや、近所のおじいちゃんおばあちゃんたちが、あなたたちのことをほんとに愛していたって、そのことを時々思い出して、素敵な、大人になっていってください。とても楽しみにしています。
今日は本当におめでとうございます。」
3 0 年後の娘たちへ
2009/4/28
2039年の娘たちへ 今、小学生の可愛い娘たち。 お父さんは30年後の2039年のあなたたちに手紙を書くことにしました。 あなたたちも、今では40歳と38歳ですね。
きっと元気で過ごしてくれていることでしょう。 結婚してこどもがいれば、ちょうど小学生くらいのこどもがいるのでしょうか。
ご主人や子どもたちと、どこの街でどんな風に過ごしているのでしょうか。 毎日子どもたちに向かって「早く起きなさい」とか「あとかたづけしなさい」とか「勉強しなさい」とか「ピアノの練習しなさい」なんて言ったりしていますか?
あなたたちは、あの小学校で過ごした6年間を覚えていますか? ランドセルに背負われるように、黄色い帽子をかぶって通い始めた素敵な小学校のことです。
その小学校で、お父さんは偶然、PTAの会長をさせていただきました。 たった2年間でしたが、それまでは選挙のときに土足で入ったことしかなかった「特活室」にたくさん通って、「あなたたちがどんな風にしたらこの街で楽しく過ごせるかなあ」ということばかりを、きれいなお母さんたちに囲まれて考えていました。
放課や、体育の授業になると、校庭から賑やかな声が聞こえてくるのも、なんだかとてもここちよい時間でした。 ときどき、ちょっと恥ずかしげに、でも、とても嬉しそうに窓の外から手を振ってくれましたね。
そんな瞬間がお父さんはとても幸せでした。 「あなたたちがいてくれるおかげで、こんな風に過ごせるんだなあ」としみじみと感じ、「あなたたちがこの小学校で幸せに過ごして欲しいな」「あなたたちの周りの友達一人残らずみんなが、幸せに過ごしてほしいな」と願っていました。
2039年には、お父さんは76歳、お母さんは○○才!になります。 あなたたちのおじいちゃんもおばあちゃんも71歳で天国に還って行ったので、ひょっとしたら、あなたたちのお父さんもお母さんも天国に還っているかもしれないから、このことだけは今のうちに伝えておきます。
どこの国のどこの街で暮らしていても、どんなに忙しくても、子どもと一緒に過ごせる時間はとても短く、あっという間に過ぎていってしまうので、その時間をとても大切に過ごしてください。 どこの街でも、あなたたちは自分たちだけで生きているわけではありません。
気付かないかもしれないけど、その街の周りの人と支えあいながら過ごしています。 もし、あなたたちが自分の地域や学校に関わるボランティアをする機会があれば、積極的に関わってください。
そのほうが、同じ時間を濃密に過ごせるからです。 そこに割かれてしまう時間は、不思議なことに別なところで神様が生み出してくれます。
お父さんは、そのことを、PTA会長をさせていただいたおかげで実感しました。 今朝、PTA会長はクラスの同級生の男の子のお父さんに交代することを話したら、「なんだかさびしい」と言ってくれましたね。
そして、その同級生の男の子は、自分のお父さんがPTA会長になることをとても嬉しそうだったと話してくれましたね。 お父さんは、その言葉だけで充分幸せです。
あなたたちも、どうか、幸せな時間をはぐくみ続けて行ってください。 2009年4月28日PTA会長を退任する日に、
5年生と3年生の娘たちへ
子どもたちの未来のために
2010/3/3
私自身が仕事を通じて(少しは)皆さんのお役に立てているはず(苦笑)として、残された人生(ちょっと大げさか?)でもう少し幅広く世の中に貢献できることはないものかと考えて、同じ気持ちのファイナンシャルプランナー有資格者の仲間4人で子供向けのおこづかいゲームを主催する「ラクガクくらぶ」を立ち上げて5年目になります。
主に小学校高学年を対象とした金銭教育ですが、単に「おこづかいの使い方」を学ぶだけでなく、「お金を通じて、自分自身での意思決定能力を意識する」ことを目的としています。 「クラスのお友だちがするから私もする」ではなく、「私はこう思うからこれをする」といった、日本人が少し苦手な「自分の考えの意思表示」をみんなができるようになるといいなあと考えています。
ところで、ところで、 私が最近とっても仲良くなった友達の「パピン」をご紹介します。
ワクワク村に住んでいる「パピン」は一度死にかけた天国で「生命保険の大切さ」に気づき、自分の村の人たちに「生命保険の大切さ」を伝えることを条件に天使に天国から落とされてワクワク村に戻ってきたお父さんです。
「パピン」とは、ソニー生命の創立30周年を記念して、ライフプランナーを代表して対談をしたり、「パピン」に私の仕事に同行してもらったりすることができました。
私は「パピン」にライフプランニングや保険の必要性などを教えてあげました。 そのことがきっかけで、大の仲良しになった「パピン」から、私も学ぶことがたくさんあります。
本当に素敵な私の友人です。 そんな様子はこちらからご覧ください。
大震災でおてつだいできること2
2011/4/10
東日本大震災で被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。  日本人は日本人としての誇りや愛国心がなくなったと言われ久しいですが、今回の大災害で、東北・関東地方の皆さんの立居振舞を見聞きして、私は「この人たちと同じ日本人でよかった」と心から誇りを感じています。
 大震災以来、原子力での電力供給が削減される中、日本人(いや、地球人)の拡大再生産を目指し続ける経済活動が大きく転換していくことになるかもしれないと思っています。
 そして、これからの若い人には、今までとは全く異なる価値観も含めて「人類として生きる方法」を見つけていって欲しいと思っています。
 大震災の前の2月のことですが、娘達の通う児童数250人の小さな小学校の女子バスケットボールチームが、名古屋市の211チームで競う大会でなんと、優勝してしまいました!
 小学校の授業が終わったあとの放課後に練習していただけのチームなのに、快挙です! 秀でたチームメートに恵まれ、参戦した娘達も、その栄誉を授かることができました。
 娘達は私に似てしまって「おちびさん」ですが、すばしこく、ゲームの組立てにも賢さを発揮していました。(思い切り『親ばか』でごめんなさい^^;)
 決勝戦は手に汗握る試合で、優勝が決まった瞬間は私も「青春」を感じ声を上げて泣いちゃいました!
 娘達には、これからの長い人生でたくさんの楽しい時間が、そして、辛く哀しくほろ苦い時間も用意されているはずです。
 私が育児をする父親として娘達と一緒に過ごせる時間はもう半分以上が過ぎてしまいました、、、
 娘達はこれから、どこで、どんな風に、どれくらい人生を過ごすのかわかりませんが、常に日本人としての誇りを持って、力強く、そして優しく生きていって欲しいと心から願っています。
今までの価値観にこだわらずに生きていってね!
大震災でおてつだいできること
2011/4/3
東日本大震災で被害に遭われた皆さんには、こころよりお見舞い申し上げます。 皆さんはあの日、3月11日、どこでなにをされていましたか?皆さんのお知り合いで地震や津波の被害に遭われた方はいらっしゃいませんか?
私のお客様で直接被害に会われた方はいらっしゃいませんでしたが、親御さんやその親御さんが被災された方などいらっしゃいます。
名古屋にいて、節電モードでもなく、私にはなにができるのか???と考えているうちに、友人は「みんな、おなじ空の下で ひがしにほんに本をとどけよう!」というボランティアをはじめていました。遅ればせながら、次女を連れて絵本の仕分けに2時間だけお邪魔しました。(ほんとにお邪魔だったかも、、、)
前後して、今後のお手伝いできることが何かを知りたくて郡山と仙台の同僚に会いに東京から車で行きました(4月1日)
郡山は放射能の風評被害で目も当てられない状況。仙台の駅から車で20分も走るとこんな状況。
私達が役に立てることはまだまだこれからたくさんあると思います。
いまは「財力と体力」の両方を備えるときだと自覚しています。

「家づくりの資金計画」
2006/11/12
ご縁あって「株式会社リブネット(中部電力100%出資)」さんの「住まいづくり講座」の講師を2週連続でさせて頂きました。
リブネットさんの事業のひとつに住宅プロデュース事業というものがあり、家づくりをお考えのお客様に対し、コンサルティングを通じて、最適な建築依頼先探しをはじめ、資金のご相談、完成後の安心保証までサポートしてくれるというものがあります。 わたしはその講座(全4回)の第2回目で「家づくりの資金計画」という講座を担当させていただきました。
個別のご質問も多く頂戴して、それに回答をさせていただけて、とても充実した半日でした。
家を買ったこと
2003/8/25
私は巷ではやりの「ファイナンシャルプランナー(FP)」という資格を一通り取得しています。
この資格はいくつかの業界のいくつかの試験のどれかに受かれば名乗ることができるため、雨後のたけのこ のごとく増殖しています。
また、FPの方々によって得意分野がありまして、たとえば年金だったり、 相続だったり、不動産だったり、、、でも、すべからくFPと名乗れちゃいます。
それはまあいいのですが、いろんなFPのかたがいろんな意見を押し付ける発言や文章がメディア から流れてくると時々辟易することがあります。
たとえば、住宅取得に関しても最近の主流は「買うより借りる」です。 曰く「不動産価格はまだまだ下がる」
曰く「せっかくのお金は投資に回すべき、自宅を買ってしまったら何の利益も生まない」 などなど、、、
実は、私もそう考えていましたし、それを実践してきました。 たしかに「経済価値」だけで考えると「買うより借りる」は正論のようです。
しかししかし、私の考えは大きく変化しました。 「借りているより買ってしまおう」と思ったのです。 「一生の総支払額が賃貸のほうが安い」だとか「収入がダウンしてローンを払えなくなっても売るに売れない 危険」だとか「古くなったら自分で修繕しなければならない」だとか、、、
そんなことを百も承知で住宅を購入しました。 理由はたったひとつです。
「子供たちと一緒に生活できるわずか20年の間の思い出をいっぱいにできる場所を持ちたい」 自分の家だったら子供が柱に傷つけようが誰にも文句は言われません。
むしろ、大人になった彼女たちにはかけがえのない記念碑になっている筈です。 そんな価値観には「不動産価格はまだまだ下がる」とか「せっかくのお金は投資に回すべき、自宅を買ってしまったら何の利益も生まない」という理屈は全く問答無用です。 不動産の価格が(仮に)今後5年間下がったとして、そのときに同じ物件が半分の値段で買えたとしても(そんなことはないと思いますが)、その間に娘たちと共有する時間は刻一刻と短くなっていくのです。 その貴重な時間はお金には換えられません。 私は自宅の購入をそういう価値観で決意しました。 (そして、「収入がダウンしてローンを払えなくなっても売るに売れない危険」にびくびくしています(苦笑))
ですから、私が皆さんから「自宅の購入や売却」の質問をお受けしたときにも即答を避けるでしょう。 その方のこれからの「いきざま」次第で答えは全く異なるからです。
私は、今後も「皆さんの気持ち」を最優先にファイナンシャルプランナーとしての業務もかかわり続けたいと 考えています。
(2003.8.25記) 
「住活」ってなんだ?
2010/1/30
以前、持ち家は損か得か?という議論はお金だけではないと書かせていただきましたが、 じゃあ、自分の家を持とうと考えたとして、まずどのような行動を取ったらいいのでしょうか? 皆さんの資金計画は私が相談に乗らせていただきますが、「新築or中古」とか、「マンションor戸建」とか、戸建でも「建売or注文」とか、注文でも「ハウスメーカーor建築家or工務店」とか、迷うことはたくさんありますよね。 そんな方の「住活(※)」を応援する業者の集まりであるリブネ
ットプラス協賛会 に参加させていただいています。
あべかよこさん(※)就職活動を「就活」、結婚への活動を最近では「婚活」といいますが、同じように住まいを得る活動を「住活」と表現したりします。
そのリブネットプラス主催の第一回住活フェアが1月に開かれ、スペシャルゲストに「はじめて家を建てました」の作家である、まんが家のあべかよこさんがお越しになりトークショーがありました。 あべさんの実体験が、マンガになっていて、うちの小学生の娘もげらげら笑って読みました。そして、たくさんの知識も得ることができとてもお勧めです。
なによりお勧めなのは。作者のあべかよこさんが巻末で一言おっしゃっておられる「家って入れ物じゃなく、そこで過ごした思い出が“家”そのもののような気がする」という言葉です。 ほんとうに同感です。
みなさんの素敵な“家つくり”を応援します! ご希望がありましたら、「サイン本」をお分けできます。
佐々木までご連絡ください。
「セカンドライフセミナー」
2010/3/27
6月10日(火)、名古屋市昭和生涯学習センター主催の「セカンドライフセミナー」~よりよい生き方を考える~(全6回)の4回目『「保険」の考え方と生かし方~それぞれのライフスタイルに合わせて~』を2時間講義させていただきました。
参加者は50代から70代の男女30名でした。 毎日、保険の広告を見ない日はありませんが、「隣の人が加入したから私も加入する」ではなく、「自分には何が必要か?」「そもそも必要なのか?」を考えていただきました。
「保険のしくみ」や「世代別に感じることが異なること」なども含め、楽しい時間でした。 お年寄りがますます元気になって、私たちが「こんな風に歳を重ねたい」と思えるような方がどんどん増えるといいと思います。
奥様必見!こんなに差が出る!簡単家計簿見直し術
2010/3/27
名古屋市の吹上ホールで開催された「ハウジング&リフォームあいち2010」というイベントで『奥様必見!こんなに差が出る!簡単家計簿見直し術』というお話をさせていただきました。 「お金が貯まらないよー」という人は「時間がないよー」という人と同じ、とか、「家計簿をつけることは毎日記録するだけでダイエットできるダイエット法」と同じ効果が期待できる。
なあんて話でした。 なにより大切なのは、最低でも数年後を意識した目標が大切で、同じ目標を家族とともにめざすことも大切だとお話させていただきました。
将来にむけてのライフプランニングはやっぱり大切だと思います。
「高齢化社会」という言葉
2006/4/17
先週2泊3日の予定でMDRT(http://www.mdrt.jp )の研修会で福岡に行ってきました。 全国から26社2000名近くが参加しての大規模な研修会です。 そこで、生命保険協会横山会長の祝辞を聞いてドキッとしました。
それは、「高齢化社会」という言葉のもつ印象についてです。 人は本来「長生き」を祝うもののはずなのに残念ながら「高齢化社会」という言葉からイメージされるものは決して喜ばれるものではないと彼は伝えてくれました。
おっしゃるとおりだと思いました。 そして、今のご老人たちに申し訳ない気持ちで一杯になりました。 横山会長は、今後は「長寿社会」と表現し、長寿を祝える環境にしていかねばならないというメッセージを出してくれました。 私は、皆様の「長生き」が喜ばしいものとなるようなお役に立ちたいと考えています。
同級生
2006/5/31
私の過ごした田舎(岐阜県恵那市)での高校生時代http://school.gifu-net.ed.jp/ena-hs/ は80人が2クラスに分かれて3年間過ごしたため、80人が1クラスで3年間過ごしたような感覚でした。 卒業して10年くらいは毎年集まる機会を企画していましたが、その後の10年間は大勢で集まることもなくすごしていました。(実は私が幹事をサボってました^^;)
そして、最近頻繁に会う機会を持っています。(5月27日にも写真の仲間と会いました) 何年ぶりに会っても「やあ」と挨拶できて、「じゃあな」と別れられる友人たちには何の気兼ねも要りません。 たった3年間に貴重な経験が凝縮していました。 私の高校生時代は小学6年生から引きずった不登校気味になる自分を一生懸命自分で立て直しての日々でしたし、数年後に社会人になってネクタイして営業をしているなんて全く想像できない時代でした。
その3年間は「貴重な友人たちに支えられて過ごしていたんだなあ」と今あらためて彼らに感謝します。 ありがとう!
「病気になったら困るの?」
2011/4/10
「中日メディアブレーン」の情報誌「生き生きシニアライフのためのROOS(ローズ)」(*)3月号に記事を書かせていただきました。
生まれて初めて「原稿料」もいただけます。 (*)名古屋市内の中日新聞に毎月第3水曜に折込されるメディアです。
↓以下は記事全文です
お金よもやま話 「病気になったら困るの?」
ご近所の斎藤さんは58歳のサラリーマン。先日、社会保険事務所で老齢年金の金額を確認され、年金生活に入っても生活費を切り詰めずに済むことが分かり、安心されたようです。その斎藤さんが私のところをぶらりと訪問されました。 「老後の収入が分ってわかってきて、なんだか気持ちが明るくなりました。定年後も数年間は週に4日だけ働こうと思っています」
「でしたら、ますます生活にゆとりができますね(笑)」 「でも、病気になったら困るのではないかと心配になってきました。病気になったらお金はいくらぐらいかかるんでしょう?」。斎藤さんは新たな悩みを抱えていました。
「『高額療養費』制度をご存知ですか?もし入院しても、治療費の中で一定のものは、一ヶ月に支払う上限が決まっているんです」 「えっ!私は3割負担だから、百万円かかったら三十万円を病院に支払わなければならないと思っていました」。斎藤さんは驚いた様子で私を見つめました。「仮に今、斎藤さんが“現役”で入院されたら、百万円かかる医療費の自己負担は九万円程度で済むんです。しかも、七十歳以上になると、自己負担も減る人が多いんですよ」(※)
「本当ですか?じゃあ、病気になっても大丈夫ですね」 「いやいや、入院したら、家族にも負担をかけます。民間の医療保険や共済などは、そんな負担も考えて加入したほうがいいですね。何といっても健康が一番です!」
斎藤さんと私は意気投合し、一緒にウォーキングに出発したのでした。 (※)高額療養費の上限は年齢、所得などにより異なります。
また、個室に入ろうとするとかかる料金(いわゆる差額ベッド代)などは別途、自己負担となります。詳しくは各自治体、社会保険事務所などでご確認ください。 プロフィル ささきもとし 1級ファイナンシャル・プランニング技能士 ソニー生命保険(株)勤務。子供向け金銭教育セミナー
喪主挨拶
2008/1/22
父の葬儀に際し、ご挨拶させていただいた文章を載せました。
原稿を作ったわけでもなく、誰かが記録をとってくれたわけでもないので、当日の記憶を辿りながら書いてみました。
「本日は、寒さ厳しい中、お集まりいただきましたこと、感謝申し上げます。
ご参列のみなさんおひとりおひとりとの関わりはいくばかりかと想像します。 父は、昨年5月に膀胱がんが見つかり、その時点で骨への転移も見つかっていましたので、積極的な治療を選択せず、穏やかに過ごすことを選んできました。
父は私たち兄弟3人のそれぞれの家で療養を続けました。 『勤勉、実直、子煩悩、愛妻家、短気、頑固、』父を表現するとこのような言葉が浮かんできます。
そのような言葉を象徴するような生前の逸話を二つほど紹介させてください。 父は、市役所勤務の50代でごみ処理場の建設地の交渉に関わったことがあります。
当然のごとく用地取得交渉は難航し、父は胸に辞表を入れながら交渉を続けたそうです。 みなさんご存知の通り、その後、建物は完成しています。
また、父は当時では珍しい昭和40年代にアメリカへ行くことがありました。 帰国後に、これからは外国を見ておかなければならないと言って、私たち兄弟3人それぞれに、なけなしのお金をはたいて、アメリカへの短期留学などを経験させてくれました。
そんな風に、世界にも目を向けながらこの恵那の街が大好きでこの街で一生を過ごした父です。 私の後ろ、棺の横に飾ってあるのは父が描いた油絵です。
父は若い頃から絵を描くことが好きでしたが、定年後にようやく時間が作れ、絵画を習い始めていました。 この絵は作品の中で、一番大きな60号のサイズです。
年末には「こんな大きな絵じゃなくて、小さいサイズのものでいいから、もう何枚か描いてみたい」と言っていました。 その願いが叶えてあげられなかったことだけが、悔やまれます。
これから、献花をしていただこうと思います。常識から外れるかもしれませんが、色とりどりの花をご用意させていただきました。 お話しましたように絵が好きな父でしたので、綺麗な色で飾ってやりたいと思い、また、生前の父とも、なんとなく話していたことなので、よろしくお願いいたします。 今後とも生前の父を皆様のご記憶に留めていただければ幸いです。 また、遺された母を、特によろしくお願いいたします。
本日はご参列ありがとうございました。」

見送ること
2008/1/22
生まれて初めて「喪主」になりました。
大学4年のときに、伊丹十三の初監督作品「お葬式」を面白く、切なく観た記憶がよみがえりました。 日程調整、近親者への連絡、公的な手続き、町内会の皆さんへのお願い、その他諸々を一気にこなします。
お葬式はキリスト教会で、前夜式(仏教で言うお通夜のようなもの)は自宅での開催を決めておりましたので、父の見送りにふさわしいようなコーディネートを教会の皆さんや葬儀会社の担当の方の意見を聞きながら計画しました。 葬儀会社の方の機転のきいた助言は本当に助かりました。
母の「きれいなお花をたくさん用意したい。白い花ばかり、特に菊はいやだ」という希望もあり、お葬式での皆さんに一本ずつしていただく「献花」には色とりどりのカーネーションやガーベラ、バラ、スイートピー、ストックなどなど! を使わせていただいたりしました。 想像を大きく上回る方に参列いただき、父の生前の関わりをあらためて感じました。
ご配慮いただいた皆様方には、本当に感謝します。 ありがとうございました。
そして、我が家のリビングには主を失ったベッドがぽつんと残されています。
在宅看護
2007/12/12
以前ご報告させていただいた父は、11月30日から名古屋の私の自宅に越してきてくれています。もちろん、母も一緒です。
父が「私のところに行きたい」と連絡してくれたのです。 近隣の施設のケアマネジャーの方と連絡を取り、その日のうちに我が家に介護用ベッドが運び込まれ、父は引っ越してきました。夜には我が家のリビングが「ホスピス」に模様替えしたのです。

翌朝には「在宅専門」 のクリニックのお医者さんにお越しいただけ、病院まで車で40分くらいかけなければ通えなかったストレスからも開放され、父はとても喜んでくれました。状態は予断を許さず、モルヒネなどでの意識障害も発生したりして、24時間落ち着きませんが、一緒に過ごせることはとても幸せです。
介護保険や健康保険制度の充実ぶり、そこに携わるさまざまな専門職(ケアマネージャー・医師・看護師・介護士などなど)の皆さんの本当に心温まる対応に感謝しています。


「リレー・フォー・ライフ」
2009/9/24
「リレー・フォー・ライフ(RFL)」とは、1985年にアメリカ・ワシントン州シアトル郊外で、アメリカ対がん協会のゴルディー・クラット医師が始めたイベントです。

目的は主に3つ 「がん患者の皆さんが勇気を得る」

「がんで亡くなった人たちを偲ぶ」 「がん撲滅」
写真は昨年9月に行われた「リレー・フォー・ライフin新横浜」に参加したときの写真です。
一番左の男性は私の東京の同僚長島修二さんです。
長島さんは北京オリンピックの馬術部の監督もされたすごい方です。その長島さんもがんに罹患されて、この日はサバイバーとして参加されました。(RFLではがん患者の方をサバイバーとして敬い、自らをがん患者とカミングアウトされた方には紫のスカーフなどを付けて参加していただいています。 このとき、私たち家族はがんで他界した父を偲ぶために参加していましたが、写真に写っている私の母もこの三ヵ月後に静かに他界しました。
私はこの一年の間に両親を立て続けに見送り、「喪主」を2回もしてしまいました。 人生、いつ、どんなことがわからないと、しみじみ感じています。
中部地区ではじめてのリレー・フォー・ライフは、2009年10月10日(土)~11日(日)に岐阜大学グラウンドで開催が決まっています。 どなたでも参加できます。
そのために実行委員会の皆さんががんばっています。 ご興味のある方、佐々木まで連絡お待ちしています。
桜の咲く季節に
2004/4/12
今年の名古屋の桜は雨にたたられた割に長持ちしていて、まだ、ところどころで「落花」の風情を楽しませてもらっています。
20代半ば(1980年代後半ってことですが)の頃、私は野田秀樹の「夢の遊眠社」という劇団(滅多に名古屋では上演してくれないので、よく東京や大阪へ見に行っていました)が好きで、その「贋作 桜の森の満開の下」という演劇を見て、原作となる坂口安吾という人の著作「桜の森の満開の下」(この小説の舞台は「鈴鹿峠(三重県)」なんですよね)を知り、その中で「桜の樹の下には死体が埋まっているから切なくも美しい」と書いているのを心から「刹那(せつな)」く感じてしまい、それ以降、桜の花を一層美しいものとしてみるようになりました。 さて、私がライフプランナーに転職したのが1994年6月ですのでもう少しで満10年です。
1994年の春は私にとってとても重要な春でした。 なぜなら、転職を決意する春(※)だったからです。
(※)ソニー生命という会社のことを3月に知り、4月に転職を決断し、6月に入社しました。 人々が桜に浮かれていた頃、私は転職を少しだけ迷いながら実家(岐阜県恵那市)の近くの山あいの田舎道を一人で運転していました。
少し先にある山は春霞でもや~っとしていましたが、その山にとても素敵なものを発見したのです。 それは、山の中にある一輪、二輪と咲いている木々の花でした。
桜(そめいよしの)や菜の花のように決して目立つことはないけれど、これらの木々も年に一度花を咲かせているのだなあ・・と、とても感動しました。 真夏や真冬では気づくことのない一本一本の木々の存在を気づかせてくれるに充分な花でした。
「私はここにいるよ、春の季節に私にも花が咲いているよ。」と一生懸命にアピールしているように見えました。 31歳になるまで毎年見ていたはずの山なのに、今まで気づいてあげられなくてごめんなさい。という気持ちと、気づくことができた喜びでとてもとても感動しました。
そして、「山の木々と同じように、人にもそれぞれ与えられる役割や、アピールできる場所があるんだなあ」と勝手に思い、私の貢献するフィールドはなんだろうと想像し、そして私は転職を決意しました。 10年が経過して、自分が皆さんのお役に立てているかどうか少し不安になりながらではありますが、今年も「ライフプランナー」をしていきます。
皆さんの近くの山でも一生懸命咲いている樹を見つけてあげてください。   (2004.4.12記)
きんもくせい
2004/10/20
名古屋では先週くらいから、どこからともなく「金木犀」の香りが漂ってきます。
私は、この香りがとっても好きです。気になって、よーく見ると、近くの軒先で金色の花がたわわに咲いているのが見つけられます。 本物の香りが好きなので、芳香剤とかの「キンモクセイのかおり」っていうのを見つけるとがっかりします。(笑)
中学3年生の10月、庭先にある柿色の小さな花を丁寧に拾って乾電池一本くらいの容積の小さなガラス瓶に詰めてみたことがあります。コルクのふたをして、、、一日中香りが楽しめました。 3日もすると、花は茶色くなり、残念ながら捨てざるをえませんでした。
金木犀の香りは高校受験を控えた多感な時期のひとコマへいつでもフラッシュバックさせてくれる、ほんとに甘酸っぱい香りです。 もう、あの15歳の秋から四半世紀以上が経ってしまいましたが、そんな年月を感じさせないで昔に戻れる(ような気がする)瞬間です。
(2004.10.20記)

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